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島原観光へ行って来ましたレポ【旅行記】

今回は長崎旅行の3日目に行った、島原観光の様子を書いていきたいと思います。

車ではなかったため移動時間が長かったですが、島原鉄道に乗ってゆったりと旅が出来ました。

長崎旅行の全日程の記事はこちらになります。

長崎旅行へ行って来ましたレポ【旅行記】ゴールデンウィーク前半、長崎旅行へ行って参りました! 2泊3日を全力で詰め込んだので、かなり盛沢山かつ全力で堪能した旅行でした。 ...

長崎~島原間の所要時間や見どころ

電車での移動ルートとなりますが、まずはJRで長崎駅~諫早駅間を移動します。

快速のシーサイドライナーで50分くらいかかります。シーサイドライナーは追加料金などは不要ですが、本数は多くありません。

諫早駅で島原鉄道に乗り換えます。ここから2時間程度かかります。

島原鉄道は基本的に1両ワンマンの電車です。乗り換え時間はあまりとれず、1本逃すと1時間は待ち時間が発生します。車両内にはお手洗いもありますので、なるべく早めに乗り換えましょう。

途中は無人駅が多いのですが、途中に「大三東駅」という駅があります。

ここは駅から有明海まで景色を遮るものがなく、車窓からの景色が本当に綺麗でした!

この駅では「幸せの黄色いハンカチ」を吊るして観光スポットにしているそうで、メッセージの書いたハンカチもたくさんありました。

ワンマン電車で降車時にお金を払うため、降りて写真を撮ったりは出来ません。停車時間は短いので、車窓からベストショットを狙いました!

そうこうするうちに島原駅へ着きましたが、本日の宿は終点の「島原外港駅」です。

駅からホテルのあるところまでは15分くらいの距離がありました。

夜の島原城の観光へGO!

午前中に軍艦島観光をしてからの移動だったので、到着は夕方。

電車で駅弁(長崎駅で購入)を食べたとはいえ、疲労が強かったので長崎駅で買ったカステラをホテルでおやつに食べてから、島原へ出発。

実は島原城、今現在の期間は「島原城 夜の陣」というイベントを開催していて、公式サイトに載っている閉館時間以降に、懐中電灯で中の展示を見ていくことが出来るのです。

今回は日程が短く、移動が多いため観光時間がなかなかとれない感じだったのですが、この夜の展示があったため、城内をしっかりと見て回ることが出来ました!

島原といえば島原の乱です。ただそこに至るまでの数々の圧政、拷問、虐殺があったことの展示を、夜の闇の中で懐中電灯で見て回る…というのは、かなり雰囲気がありました。

BGMも島原の乱のフロアは讃美歌のような独特な音楽で、RPGのゲームをやったことのある人ならば「何かヤバイイベントが起こる気がする…!」と思うレベル。

展示品としては文書や絵の記録、そして隠れキリシタンとして生きて来た方々が信仰を守るために鬼子母神などを模した聖マリア像や掛け軸、クロスを入れ込んだ食器やかんざし。

何というのでしょうか、そういった展示された品のどれもこれもが、「誰かが命よりも大事にしていた」というのが感じられる凄みがありました。特に聖マリア像は本当に凄かったです。

他には恐らく周辺の各家庭に残っていたのであろう、甲冑や食器、道具などの展示がありました。長崎は鎖国の時も貿易があったところなので、ランプや中国・西洋食器のようなものも多く、普段から割と展示などを見に行っている身としては、場所が変わると出てくるものも変わるなーと興味深かったです。

天守閣にも普通に入ることが出来、夜の島原も見ることが出来ました。とはいっても、長崎市のような夜景はなかったのですが…

島原城のまとめ・感想

島原の乱が起こった原因として、まずは当主が変わってしまったことが最初の原因だったようです。

大友宗麟に代表されるように、古くから貿易が盛んだった分この地域にはキリシタン大名も多く、周辺の村にもキリシタンが多くいたようです。

幕府がキリスト教を禁止した時、それが原因だったのでしょうか、キリシタン大名である有馬氏から当主が松倉氏に変わってしまいました。幕府から目をつけられていた?というのもあるのでしょうが、この当主は財産や石高にそぐわないレベルの大きな城を人々に苦役を強いて作らせたり、政治に使うために重税を課したり、キリスト教徒の人々を厳しく制限したというよりは、百姓全体を虐げていたという方が近かったようです。

展示された絵の中には、島原の状況を「この世の地獄」として聞き、西洋で描かれたものもありました。

島原の乱はキリシタン一揆として有名ですが、宗教弾圧に対するものというよりは、圧政に対する不満が大きかったようです。参加した人にキリスト教徒が多かっただけという感じ。

しかし当主は自分自身の政治の失敗を認めず、「キリスト教徒が原因」と言い訳をし、しかも島原城を乗っ取られて3か月も籠城されてしまいます。

ついに幕府軍が出て一揆を鎮圧する事態となり、この松倉家当主である勝家は政策の失敗を咎められ、江戸幕府の時代で大名としては異例の斬首刑(資料には「斬罪」とありました)、切腹を許されない唯一の大名となったそうです。

もうほんとね、展示資料に「新たな拷問を思いついた」とか書いてありましたからね。何で思いついちゃったんだよ…という感じです。

実は島原・天草以外の地域でもキリスト教徒はたくさんいたようなのですが、幕府から禁止された後に領主がそれほど厳しく取り締まっていなかったこと、また疑いをかけられてもちゃんと領主が対応して釈放して貰ったりなど、他の地域では穏便な対応になっているのです。

地域格差が命を左右するのきっついな…と思いました。現代にも通じる部分はありますが、上がダメだと下がえらい目に合うんですよね…

夜でしたが時間を忘れてじっくり回っていて、結構遅くなってしまったので、ホテルには島鉄タクシーを呼んで帰りました。島原外港のホテルまでの料金は1200円くらいでした。

注意点としては、観光地の割にはお店が閉まるのも早く、ホテルのレストランも9時くらいにはラストオーダーでした。

私たちは夕食を食べ損ない、ホテルの売店で買った精いっぱい現地らしいあったかそうめんを食べて凌ぎました。この旅行におけるかなりの大失敗です。

朝から島原の武家屋敷へGO!

ホテルの高濃度炭酸風呂と朝風呂に全力で入ってから、チェックアウト後に島原へ。

島原は観光に力を入れているため、駅は日中であればロッカーもありますし、島鉄の駅の中で荷物を預かってくれたりします。ちょっとしたお土産屋さんや、自転車の貸し出しもあります。

駅から徒歩で行ける観光場所も多いですが、駅から離れた場所にも見どころがたくさんあるので、上手く使って回って下さい。

私たちの目的は武家屋敷とご当地グルメなので、まずは武家屋敷に向かいます。徒歩では割と遠かったのですが、地域の景観をしっかりと守るようにしていて、あまり苦には感じませんでした。

武家屋敷の端にある売店にたどり着いたので、さっそくご当地名物「かんざらし」を頂きます。

白玉をシロップに漬けただけのものですが、島原は良い湧き水が出る地域なこと、またシロップは和三盆やザラメなどの優しい甘さの砂糖を混ぜ合わせたものなので、「美味しい、これ飲めるわ」と言いながら皆でシロップもぐいぐい飲んでしまいました…

その後に武家屋敷を巡りました。

思ったより連なりが長い!多い!

と思いましたが、入って見学出来る武家屋敷は4~5つで、他は一般の方が普通に住んでいます。既に現代建築に建て替えられた家も多かったです。

見学できるところは屋敷の中に上がることも出来、友人は「資料が山のようにある!細かいところの!資料が!」と言いながらすごい速さで写真を撮っていました。

欄間が可愛い。

時間がない中でしたが何やかんや全力で堪能し、最後のご当地グルメ「具雑煮」を頂きます!

これは島原の乱で天草四郎が考案したと言われるものです。基本的に餅を入れて海山の幸を適当に入れて煮る!という、男の料理感満載ですが、島原の乱の中の人々はこれで3か月間城の中で籠城が出来たという、由緒正しきご当地グルメです。

私は関西の味で育った舌なのですが、九州は出汁というか恐らく醤油の味が違うので、普段味わっているものと全然違います。出汁は甘味が強い感じですね。すごく美味しかったです。

島原の観光はここで終了、駅に戻りました。

駅のお土産屋さんで「島原そうめんのスープそうめん(ほうれんそう味)」と「かんざらし」のミニセットを買いました。また家で作ります~!

島原観光の全体的な感想

完全にゴールデンウィークの中に行ったのですが、混雑もしておらず色々とゆっくり見て回ることが出来ました。

観光地として特化している印象でしたが、それほど大きい町ではなかったです。1日~1日半くらいで全部回れると思います。

ただ長崎市内からの移動時間がかなり長いので、2泊3日くらいであれば島原だけに行く日程で旅行を組んで行く方がオススメですね。

私は島原は今回で回り切れましたが、長崎市内がほとんど見て回れていませんので、次は長崎だけの観光が必要かな…と思っています。

長崎観光の内容はこちらです。

長崎旅行へ行って来ましたレポ【旅行記】ゴールデンウィーク前半、長崎旅行へ行って参りました! 2泊3日を全力で詰め込んだので、かなり盛沢山かつ全力で堪能した旅行でした。 ...

ここまでお読み頂いて、ありがとうございました!